海峡映画祭 八

 帰路の九州道は全面通行止。一般道での先の見えない大渋滞は続いた。通訳の留学生はため息をついたが、経験的に僕は知っていると伝えた。「このような事態が想い出を刻印に変えるんだ」と。現に下道(一般道)の長丁場は、出発ゲートへと消えたヤン・イクチュンとの余韻を冷ますには丁度良い時間だった。

 22時を過ぎて下関へ着いた。ここでも一つの別れが訪れた。ヤンさんに書いた僕の手紙を翻訳し、彼とのやり取りを支え、来日した彼の言葉を通訳して届けてくれた留学生との別れだ。明日が映画祭最終日だが、留学生の一人はホストファミリーと帰国前の食事会、留学生の一人は帰国の為に参加はできない。

 僕のホラ話を真っ先に信じてくれた二人の留学生。二人がいなければ僕は今こうしてペンを取ることさえなかったろう。

 ポッカリとくりぬかれた胸のまま、佐々部監督のもとを訪ねた。何もかもを見計らったように監督は受け入れてくれた。映画、という夢物語。その話を聞いているときは、まるで魔法のじゅうたんに乗って真夜中の街の上空を旋回しているような気分だった。

 翌日。春風さんが慌てた様子で僕のところへ来て「水谷さんが宿を出て、一人で買い物へ向かったらしい」と言った。僕はそんな水谷妃里さんを嬉しく感じたが、たまたま傍にいたpokoさんが春風さん同様に慌てて「タイヘン!見つけないとッ」と同意し、春風さんも「下関を女優一人で歩かせる訳にはイカン」となった。この二人は完全に保護者となっていた。にしても、ハタチを過ぎた娘には些か行過ぎているのだが(笑)

 路上に立っていた水谷さんをピックアップして再び会場入りした以降、僕は抜け殻のようにただそこらを漂っていただけだった気がする。記憶も曖昧で、よく想い出せない。

 いや、一つ覚えている。

 『マンマ・ミーア!』の上映後に出て来たお客さんがスタッフジャンバーを着た僕を捕まえて高揚した顔で「面白かったー、これッ」と言った。とても嬉しかった。内心僕はこの作品の上映に反対していた。上映の決め方が明確じゃないし、もっと相応しい作品があると感じていたのだ。でも、やはり僕は間違っていた。お客さんの笑顔がそれを教えてくれたのだ。

 全ての上映を終えた劇場前での記念撮影に参加し、クロージングパーティへと向かった。ゲストの挨拶、市長の挨拶、安倍晋三氏の登壇と続いた。壇上からは遠く隅っこでウーロン茶を飲んでいると、春風さんが来て「市長と話したいんやろ?行こっか、紹介してやる」と言った。

 ごった返す人々の中で「市長、柴口君です。彼は今凄く頑張ってます。そのことで話たいことがあるそうです」と繋がれ、僕は春風さんに市長の前へ突き出された。

 柴口「柴口です。あの、会社員です」
 市長「はい」
 柴口「今、あのー、自主映画を作ってます」
 市長「うん」
 柴口「海響マラソンを、題材にしています」
 市長「おー」
 柴口「マラソンのスターターは、市長でした」
 市長「そーそー」
 柴口「そのときの映像を使わせて頂けませんか?」
 市長「・・・」

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