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help リーダーに追加 RSS 追記『イッセー尾形のつくり方』in新宮

<<   作成日時 : 2005/11/19 07:56   >>

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http://www.issey-ogata.net/network/reportshinguyoshimura.html
― Re: 吉村日記 ―

 正直、森田さんの駄目出しに胸を傷めた人も少なからずいたと想う。が、よく想い出して欲しいのだ、森田さんが舞台を見ている時のあの表情を…終始、微笑んでいた。あそこ(舞台)で演っている時は、僕も自分の事で精一杯で森田さんの表情なんて見えてやしない。会場のどこからともなく彼の声(罵声?)が届くだけだ。けれども穏やかなあのクシャクシャな笑顔で彼は見守っていてくれただろう。僕が今、森田さんを想い出す姿は彼が声を上げている姿ではなくその微笑みなのだ。彼「ら」は世界的に評価される「ら」である、それが素人のどんな芝居であろうと微笑んで見守り、例えボツだったとしても袖にせずその理由(文句)をタラタラ伝えてくれる。その言葉は、実に痛い。芝居や物語の向こう側にある当人の日常を一言二言で貫いてみせるからだ。僕なんて過去生きて来てこれまで、見せかけの苦言・ウソ臭い助言・本人の感情・に振り回された叱咤を受けていて、それはこれからも止む事なく続いてゆくに違いない。だが森田さんのその痛烈な言葉の行間からは、何とも言えぬ愛情が零れていた。僕は昔それと似たものを、知っていた。亡くなった母の笑顔、シツケの言葉。母の云う事が支離滅裂だった事はそれはもう多々あった。だが今だからこそ解るが、それは無償の愛だった。しかし不思議だ…親でも友達でもご近所さんでもない人(森田さん)から、どうしてそれと似たものを感じ取れたのだろうか…

 イッセーさんにしても、だ。稽古の間は皆自分の事で精一杯なのだけれど、見渡すと何処かで彼はジッと見守っている。遅出したり早く帰った事は一度もない。僕らの稽古に始めから終りまでずっと付き合っているのだ。僕らをのせたバスは助手席の森田さんのナビゲートでどうにか走っているのだけれど、行き止まりに当たる時もあって、そんな時にイッセーさんは出て来る。行き場を見失ったハンドルに手をかけ、ギアをローにしたりハイにしたりバックに入れたりしてその場から脱却させてみせるのだ。打上げの時には僕はイッセーさんに「駄目出し、お願い出来ませんか?」と申し出た。「自分で責任を追っちゃったんだろうと想う。んー灯台守の責任?みたいなものを背負い込んじゃったんだろうね。それがあなたの良い面だと想うし、オレなんかもまぁ昔そーだったよ。けれどもっと全く関係のない、もっと自分からかけ離れた程遠い人を演じてさァ、ホラ、そこにゆく過程がまたこれが楽しんだよね(笑)。楽しめるんだよねッ。うん、解る?。でも灯台守ってのはさ、なぁーんかさぁ、イーよね」。間違いない。イッセー尾形「ら」のいる場所は、この先にあるのだ。

 誰が舞台に上がろうと森田さんはマイクを握り、イッセーさんは腕組をして(或いは何かを書きながら)、最後の最後までレギュラーであろうが補欠組であろうが我々(素人)の稽古に“付き合って”くれた。実際、それ「ら」を想い出しながら僕はペンをとってるのだけれど、こうして振り返り綴りながら未だに胸いっぱいになる。稽古が緊張ではち切れそうになった静寂の時に、お盆にお冷や(水)を乗せて森田さんの元へスタスタと歩いて来た一人の勇者はテイヨさんだった。僕は彼は外国のメディアが付けた記者か何かだと想ったら、彼もまた「ら」だと聞かされた。ある方がテイヨさんに「生まれはどちらですか?」と尋ねた事があった。僕は直感的にそんな事はどうでもいいのにと感じた。するとテイヨさんは西の方を指して「あっち」と答えた。「ら」は「ら」にとって運命共同体のようなもので、家族のようなもので。だから「ら」は皆このカオスの中で生まれし個なのだ。本番の時、恐らく舞台袖で一番笑っていたのはハンディカムでずっと稽古を追っていたレゲエ男さんだ。稽古の時は「笑わないレゲエ男」だった彼は本番では誰よりも「笑い」楽しんでいたように映った…否、その横でもう一人クスクスと笑っていた女性がいた。吉村さんだ。彼女が傾ける眼差しは何かの「慈悲」のような、そんな感覚があった。音楽は、ウッドベースをご覧の通り岡田さんの担当だ。実は僕があの日(稽古で)真っ白になったその時、僕を引き戻してくれた音楽がある。それは「風」の音。真っ白な場所に何処からともなくヒューヒュ〜と風が吹いて(聴こえて)来て、僕は立ち返った。それはとっさに岡田さんが(とても悩ましいとは言えぬ、その)唇から発した音楽だった。その音は僕がかって岬で聞いた風の音そのものだった。

 新宮での日々の直後の事。隣町の小倉で「ら」が苦戦を強いられていると聞き、その週末に僕は北九州芸術劇場を覗いてみた。何とも格調高い素晴らしい劇場だ。本番直前の稽古を見守った。驚いた。何と高いレベルに達しようとしているのだろう。苦戦?否、これは…などと想いながら僕は末席に縛りつけられた。僕を見つけた新宮チームの一人から「何かやりませんか?」持ちかけられた。勿論、ここに来るまでは僕の中に少なくともその気持ちはあった。が、この稽古を見せられては同じレベルで舞台に立つ事など不可能だし、何よりも新宮が新宮のまま出てゆく事に違和感を感じた。僕は断った。そして小倉の本番は見事なものだった。だが、僕はやはり新宮の方が好きだ。新宮の風土と香り漂うあの舞台が愛おしい。きっとそれは何処ででも言えるのだと想う。その街で産み落とされたもの、それがその街にとってはかけがえのない物語なのだ。本番後の駄目出しも見学して、ようやく僕は今一度「ら」の元へ参じた。森田さんが新宮チームに囲まれてもみくちゃにされているのを見て心が和んだ。そんな姿を傍らで笑顔で見守る清子さんに僕は声をかけてみた。幾らかの笑い話しの後、清子さんは「ここの稽古では森田は手が痺れるまでイスを叩いてた。自分の子供にもあんなに怒った事はないのよ」と打ち明けてくれた。そっか…本当に辛かったのだ。“高み”に皆を導こうと森田さんはここで闘ったのだ。代わりにイッセーさんが稽古をつける事もあった小倉について清子さんと話す内、「ここにはサジを投げる人がいて、それを拾う人がいる。そんな街なんでしょうか」と僕は尋ねた。清子さんは「だからここではサジを投げれるのよ」と答えてくれた。では我々の新宮は?どうだったのだろう。清子さんは答えた。「身の周りで起こってる事、それが不幸ではないと知らずに過ごしてる幸せな町(笑)なのよ」。

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これですね?
http://nb.nikkeibp.co.jp/free/x/20060222/20060313005419.shtml
日経の記事を読んで
2006/03/13 17:01

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